その小さな穴は想いを通わせる穴でもある。
今井雅子(脚本家)
舞台には男と女と二人を隔てるアクリル板と各々の椅子のみ。そこは拘置所。アクリル板に隔てられて出会う男女は面会人と死刑囚。
男は劇作家で、女が犯した事件に興味があるらしい。面会を重ねるにつれ、それぞれの思惑や二人の接点が浮かび上がる。
《自らの執行日を決める「執行日選択権」が死刑囚に与えられた時代の話》という設定ならではの駆け引きがスリリングだ。執行日選択権は死刑囚の配偶者にも与えられる。女は男に獄中結婚を持ちかけることで、男にもわが身の運命を握らせる。
強く引くと切れてしまう糸を慎重に手繰るような探り探りの会話が重ねられていく。男と女が言葉を探る間(ま)は「私だったら」を想像させる余白となり、観客にも問いを突きつけ悩ませる。
昨年11月の札幌での公演は客席数を絞っての上演となったそうだが、ウイルスも距離も関係なく観られる配信公開は朗報だ。視線を彷徨わせたり唇を噛んだりの表情を追えるのは配信ならでは。オンライン観劇でも緊張感は緩むことなく、画面の前にいることすら忘れさせ、張り詰めたまま終幕へ向かう。観終えて聴こえた拍手で客席も息を詰めていたのだと知った。
繊細に積み上げられた脚本。それを表現する演者二人と演出の力が合わさり、ずっしりと胆に響くものを観せてもらった。
「私の体でも心でもない、命が罪を犯した。それを奪うのが死刑です」
というセリフが印象に残った。このセリフがとくに活きるのは、死刑囚の女のある設定ゆえなのだが、それは本編を観て確かめていただけたらと思う。命で罪を贖(あがな)う死刑という制度について、自分に引きつけて考えさせられる力作だ。
息苦しく、重苦しい作品ではあるが、感染対策でアクリル板に隔てられる機会がふえた今、拘置所のアクリル板に声を通す穴が空いていることが象徴的に思える。その小さな穴は想いを通わせる穴でもある。板越しに向き合うのが、絶望の淵に立つ男と女であっても。