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「わかり合った」先には、
高橋研太 映画監督(『えんえん〜縁と宴〜』『えんえん其の弍〜縁と演』など)
触れることもできない。
できるのは限られた時間の中で話すこと。
そのような状況で、果たして私たち人間は「わかり合う」ことができるのだろうか?
それは、ほとんど不可能だろう。
ところが、そんな限られた条件の中でさえ、しかも境遇も何もかもが違うにも関わらず「わかり合って」しまう瞬間がある。
「異邦人の庭」で描かれているのは、そんな奇跡のような瞬間である。
抑制された演出で、淡々と奇跡の瞬間が描かれていく時間。
固唾を飲んで見つめてしまう繊細な演技。
人と人が「わかり合う」とは何なのだろうか?
この作品は私たちに様々なことを考えさせる。
二人の登場人物が「わかり合った」先には、未来も何も無いかもしれない。
けれども、私はこの二人が「わかり合う」ことに何らかの「希望」があることを願ってしまう。
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