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​生物学においてもメスとオスの問題は非常に大きな問題である。

村上貴弘(九州大学持続可能な社会のための決断科学センター准教授)

私は演劇の専門家ではなく、アリの行動生態学を研究する生物学者です。この「異邦人の庭」を演劇の専門的な観点から批評することは不可能なので、生物学的に興味深かった点を考察していきたいと思います。

 まず舞台は拘置所の面会室だ。アクリル板に仕切られた部屋で死刑囚の女性(火口詩葉ヒグチ コトハ)と劇作家の男性(一 春 ニノマエ ハル)の会話のみで劇が進む。
 この状況は、我々行動生態学者や社会生物学者にはまさに「囚人のジレンマゲーム」を想起させる。生物学のみならず、経済学や心理学でも研究対象となる「ゲーム理論」のもっともシンプルなものだ。囚人2人が司法取引で黙秘(協力)と自白(裏切り)で刑罰が変わるというものだ。不思議なことに2人の間に信頼関係がなければ、結果はともに裏切り、信頼関係が構築されていれば協力に収束することが分かっている。どうしても個人にとって最適な結果には収束しない。人間に見られる利他行動や協力行動の進化の説明に「ゲーム理論」は強力な説得力を持っている。現在、多くの複雑な条件下での「囚人のジレンマゲーム」が考案されている。
 「異邦人の庭」の中で、一方は自己を罰することを欲し、もう片一方は罪を明らかにし、場合によっては罰することを欲している。しかし、会話を重ねるうち、信頼関係が醸成され、ラストシーンでは生死の選択権をお互いに中間地点で委ね合うという非常に考え抜かれたものとなっている。これもまた、協力行動のひとつの形なのだろうと思われる。このシーンは素晴らしいのひと言だ。
 また、この物語は比較的若い女と男という二つの性で成り立っている。これがもし老人や未成年、ヘテロセクシャルの同性同士であれば、流れが全く違ったものになることは想像に難くない。物語では、アクリル板で仕切られ、身体的な接触が全くない中、観念としての男女の関係性が深く描かれている。これも最後のアクリル板越しのコミュニケーションに唯一の身体性を持たせているところがグッとくるポイントだろう。
 生物学においてもメスとオスの問題は非常に大きな問題である。あまり知られていないことかもしれないが、生物学においてオスとメスがなぜ生まれたのか、つまり有性生殖の進化は大きな未解決課題であり、さらにいうと100%遺伝的に性が決まってしまい、性転換やクローン繁殖ができないのは鳥類と哺乳類の2グループのみなのである。芸術や文化の多くがこの二つの性、もしくはそれらの入れ替えによって成立しているのは、哺乳類の持つ、この大きな制約によっているものと思われる。
 しかしながら、この演劇をオンラインで観るのは非常に難しいものがあった。やはりこのような重厚な作品は、時間も空間も同時に共有しながら、演者も観客もさまざまな思いを乗せて観るのが最適なのであろうと考えざるを得なかった。もちろん、今回札幌を遠く離れた福岡で、この作品を鑑賞できたことは新型コロナのもたらした数少ない「善きこと」かもしれないが、できれば今一度直接鑑賞したいものだ。1日も早い状況の好転を念じている。
 最後に、全くの蛇足になるかもしれないが、演出を担った町田誠也氏は札幌の高校時代の同級生である。十代半ばから後半にかけての非常に不安定な心と体をもてあましながら、同じ空間で同じ空気を吸って、嫌なことも面白いことも自然と共有していた仲間が、こんな重厚な作品を生み出していることに深い感慨を覚えずにはいられない。これから我々の世代が、どうやって社会を引っ張っていくのか、そういったことも考えさせられた。町田君、有難うね。

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