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​彼らの本当は分からない

カジタシノブ(インタークロス・クリエイティブ・センター ディレクター/イレブンナイン ゼネラルマネージャー)

2011年の東日本大震災から10年が経とうとしている。
関連死を含めた死者数は19,418人、行方不明者は4,467人。
合計23,885人が簡単にいうと誰かの目の前からいなくなっているということだ。

それに対して色々思うことはある。
しかし、ただ数字だけ聞いても当事者意識は持てない。
このうちのたった1人が自分にとっての誰かだとしたら
こんな数字で語れるようなものではないだろう。

 

伝え聞く人々の営みは、想像することはできても
その人自身や、その人の周囲の人と同じ気持ちになることは無理だ。

大量殺人事件
自殺幇助
身近な人をなくした被害者家族
獄中結婚
死刑執行

 

何が起こっていても、それは自分の物語ではない。
どの物語も「誰かの物語」だ。

 

それは誰かの伝聞や文字、映像や写真など
何かをを通してもたらされることがほとんどだ。
その本人から何かを聞くことはない。

しかし、この舞台はそれを凌駕してくる。
直接見たときには、目の前にその本人がいると思ってしまうだろう。
映像で見たときには、その人が無言の瞬間でさえも
様々な思いを巡らしていることに気づいてしまうだろう。

一度最後まで見ると、最初は語られていなかった感情が見えてくる。
繰り返し見ることで無言の感情がますます見えてきてしまう。

 

彼らの本当の思いはわからない。
わからないけども、そこに籠められた感情は
想像以上に伝わってきてしまう。

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